1年前の7月7日
1年前の7月7日、福島県にある二本松訓練所で平成22年度2次隊の
派遣前訓練が始まりました。
あっというまにもう1年前。昨日のことのように思いだせるのに。。。
二本松の同期は協力隊とシニアボランティア合わせて199人、
派遣国はアジア、アフリカ、中東の23ヶ国。
9月9日まで65日間、この仲間と訓練を受けました。
安達太良山のふもと、岳温泉街を抜けた山の中腹にある訓練所には、
A~D棟の3階建て宿泊棟と、語学教室や講堂がある研修棟、大浴場や食堂がある厚生棟、
スタッフルームや会議室がある管理棟がありました。
生活は宿泊棟各階ごとに生活班が構成されていて、
階段上がって右が男性部屋、左が女性部屋。
個室にベッドや机があって、男性女性それぞれ大部屋と給湯室。
私は12班。女子だらけ17人、しかもD棟の3階という
1番奥のフロアだったことから“大奥”と呼ばれ、
本当に楽しくて、熱くて、優しくて、頼れる仲間と過ごしました。
医療、教育、芸術、コンピューター、村落開発…
色んな職種、様々な派遣国、それぞれの動機や想い。
初対面とは思えない仲の良さで、とにかくよく笑って、真剣に語って、泣いて、ふざけて、
最高にステキな17人でした。
訓練は朝7時の朝礼から始まって、それぞれの言語にわかれて
午後3時くらいまで語学授業。
英語、アラビア語、タイ語、モンゴル語、スワヒリ語、フランス語、
ベトナム語、中国語、ラオ語、マレー語、カンボジア語、インドネシア語…
この写真は研修棟に掲示されている「携帯電話使用禁止!」の各国語訳。
語学訓練中は日本語を使わないように、携帯電話の使用が禁止されていました。
上から3つ目の「Matikan HPnya!」がインドネシア語。
そのあとは5時くらいまで全体講義。内容は国際協力理解や保健衛生、安全管理など。
毎週火曜はこの時間に予防接種だったと思います。
狂犬病、A型・B型肝炎、破傷風、日本脳炎とか。1度に2本の日はさすがに痛かった。
夕食の後はまた講義があったり課題やレポート書いたり、お風呂に入ったりのんびりしたり。
11時消灯。これが月~土まで。
ごはんもお風呂もみんな一緒。まさに「共同生活」で「訓練」でした。
コンビニまでは30分歩いて山を下りなくちゃいけないし、
何をするにも時間の制約や決まりが多いし、
去年の猛暑のなか宿泊棟には冷房機器一切ないし
(近くの郡山は毎日のように37度や38度でした…)、
テレビも訓練所の中に1台だけ。
不便を上げたらキリがないくらい、本当に「非日常」な環境。
でも、私は二本松での生活が大好きでした。
熱くて優しい仲間と、親身になってくれるスタッフとインドネシア語の先生と、
きれいな自然と(安達太良山登りました)、広い空で何度も見る虹と満天の星と、
ひぐらしの声と。
1日3食用意してもらい、まったく話せない語学を訓練修了する頃には
日常会話がどうにかできるくらいにまでみっちり教えてもらい、
さまざまな講義から知識を受けることができ、本当に幸せで、ありがたい65日間でした。
一生忘れられません。
その訓練所も、今は東日本大震災の避難所となっているそうです。
スタッフや職員の方々、岳の町の親切にしてくれたおじちゃん・おばちゃんたちは
どうしているのか。原発の影響は大丈夫なのか。心配です。
1日も早く、明るい二本松が戻りますように。
帰国したら今度は観光客として岳に行こうと思います。
派遣前訓練が始まりました。
あっというまにもう1年前。昨日のことのように思いだせるのに。。。
二本松の同期は協力隊とシニアボランティア合わせて199人、
派遣国はアジア、アフリカ、中東の23ヶ国。
9月9日まで65日間、この仲間と訓練を受けました。
安達太良山のふもと、岳温泉街を抜けた山の中腹にある訓練所には、
A~D棟の3階建て宿泊棟と、語学教室や講堂がある研修棟、大浴場や食堂がある厚生棟、
スタッフルームや会議室がある管理棟がありました。
生活は宿泊棟各階ごとに生活班が構成されていて、
階段上がって右が男性部屋、左が女性部屋。
個室にベッドや机があって、男性女性それぞれ大部屋と給湯室。
私は12班。女子だらけ17人、しかもD棟の3階という
1番奥のフロアだったことから“大奥”と呼ばれ、
本当に楽しくて、熱くて、優しくて、頼れる仲間と過ごしました。
医療、教育、芸術、コンピューター、村落開発…
色んな職種、様々な派遣国、それぞれの動機や想い。
初対面とは思えない仲の良さで、とにかくよく笑って、真剣に語って、泣いて、ふざけて、
最高にステキな17人でした。
訓練は朝7時の朝礼から始まって、それぞれの言語にわかれて
午後3時くらいまで語学授業。
英語、アラビア語、タイ語、モンゴル語、スワヒリ語、フランス語、
ベトナム語、中国語、ラオ語、マレー語、カンボジア語、インドネシア語…
この写真は研修棟に掲示されている「携帯電話使用禁止!」の各国語訳。
語学訓練中は日本語を使わないように、携帯電話の使用が禁止されていました。
上から3つ目の「Matikan HPnya!」がインドネシア語。
そのあとは5時くらいまで全体講義。内容は国際協力理解や保健衛生、安全管理など。
毎週火曜はこの時間に予防接種だったと思います。
狂犬病、A型・B型肝炎、破傷風、日本脳炎とか。1度に2本の日はさすがに痛かった。
夕食の後はまた講義があったり課題やレポート書いたり、お風呂に入ったりのんびりしたり。
11時消灯。これが月~土まで。
ごはんもお風呂もみんな一緒。まさに「共同生活」で「訓練」でした。
コンビニまでは30分歩いて山を下りなくちゃいけないし、
何をするにも時間の制約や決まりが多いし、
去年の猛暑のなか宿泊棟には冷房機器一切ないし
(近くの郡山は毎日のように37度や38度でした…)、
テレビも訓練所の中に1台だけ。
不便を上げたらキリがないくらい、本当に「非日常」な環境。
でも、私は二本松での生活が大好きでした。
熱くて優しい仲間と、親身になってくれるスタッフとインドネシア語の先生と、
きれいな自然と(安達太良山登りました)、広い空で何度も見る虹と満天の星と、
ひぐらしの声と。
1日3食用意してもらい、まったく話せない語学を訓練修了する頃には
日常会話がどうにかできるくらいにまでみっちり教えてもらい、
さまざまな講義から知識を受けることができ、本当に幸せで、ありがたい65日間でした。
一生忘れられません。
その訓練所も、今は東日本大震災の避難所となっているそうです。
スタッフや職員の方々、岳の町の親切にしてくれたおじちゃん・おばちゃんたちは
どうしているのか。原発の影響は大丈夫なのか。心配です。
1日も早く、明るい二本松が戻りますように。
帰国したら今度は観光客として岳に行こうと思います。
by naoko-Indonesia
| 2011-07-08 22:21
| 二本松訓練
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