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Seize the day!! インドネシアの空の下

1年たって。

わぁーーーーっと1年がたってしまいました。

ブログ更新します、なんて言っておいて

終わらせることも、続きも書くこともせずに放置という、中途半端な状態ですみません。

昨日帰国した23年度2次隊の同じ任地だった隊員に会い、

ハッ・・・ブログ・・・と思い出しました。

しかもこの更新していない間もアクセス記録があってビックリ。

見てくださっていた方々ごめんなさい。

活動の記事が中途半端になってて、そういうもやもやしたのは嫌いなくせに

ほっておいたんですが、もうそろそろほんとに書いてちゃんと終えようと思います。

どれだけ腰が重いんだって自分でも思いますが。。。



1年前の今ごろ太平洋の上で腹痛に悶えていた私も、

いつの間にか日本人らしく見えるようになり、

1年前は想像もしていなかった道にいて、

おかげさまで生きています。



# by naoko-Indonesia | 2013-10-03 00:32 | 思うこと

帰国オリエンテーション

10月4日

広尾のJICA施設で帰国オリエンテーションがありました。

この施設は事業仕分けで国に返還することが決まったそうで、

地球ひろばの展示などはすべて撤去されてシーンとしていました。

私たち22年度2次隊がここを使う最後の隊次だそうです。

広尾に行くのにびっくりしたのが、

電車の通勤ラッシュ。

2年ぶりの満員電車。

戦意喪失で2本も見逃してしまいました。


研修内容は外務省からの感謝状授与や就職オリ、健康診断の説明や

オフィシャルパスポートの返却など、夕方までで終わり。


2年ぶりに他国同期とも再会。

同日帰国のフィリピンやボツワナ、タイ、チュニジア、モロッコなど。

みんな元気そうで、嬉しい再会でした。

私たちインドネシア隊は3日の朝着で、

しかも時差2時間なのでそんなにつらくなかったけど、

ボツワナ隊は研修中「向こうはまだ夜中の3時だよー」と時差が。

アジア以外の隊員は大変。




「白いよー!なんでー?」

「そんなことないよー!え、白いじゃん。変わらないよー。」


これはフィリピン隊とインドネシア隊の会話。


"隣の芝生は青く見える"ならぬ、

隣国の隊員は白く見える。

周囲の方から見たら、どっちもどっちかもしれませんが。

電車とかで見てても日本女性はかなり白くて、

南国赤道の島で2年過ごした隊員には憧れです。







そしてやっぱりアメーバ経験者の隊員もいて、励まされました。







帰国オリエンテーション_b0200971_0423821.jpg

              インドネシア同期JV4人。無事帰国しました。
               SVは別プログラム。



# by naoko-Indonesia | 2012-11-21 23:58 | 帰国まで

日本で感じたこと

2週間日本に住んでみて驚いたこと、感じたこと。


・ごはんがとにかくおいしい(実家の食事に太る要素が一切見当たらない。
インドネシアの食事は太る要素しかなかったのに・・・。)


・生野菜、生卵や乳製品をお腹をくだす心配をしないで食べられる(アメーバは別として)


・豚肉やアルコールが想像以上にたくさん売られている


・インドネシア製のナシゴレンの素が200円で売られてる(現地では多分30円くらい)


・お湯のシャワーに湯船がとにかく素晴らしい
(この素晴らしさを知ってしまったので、もう水マンディはできないです)


・停電の心配がない(乾季はたいてい1日1回停電だったので)


・蛇口からきれいな水がいつでも出る(私の住んでた地域は毎朝断水だったので。
しかも持ち帰った服を日本で洗ったら色が蘇えった!インドネシアの水の汚さにびっくり。)


・スマホが難しくて使いこなせない(やっぱりラクラクホンにすればよかった・・・)


・テレビがちかちかするし、うるさい
(地デジで実家のテレビが新しくなって色が鮮やか過ぎるのと、
見ててもおもしろくない。私のツボが変わったのかは不明。。。
目も耳も疲れるのでほとんど見ないです。見てて落ち着くのは結局NHK・笑)


・若干不安になるほどのAKB人気


・お風呂上りにほっといてもいつまでも髪が乾かないし、
むしろそのままだと寒いのでドライヤーを使わないといけない


・実家にかかってきた電話に出ても日本語が聞き取りづらい(たいてい2度聞きしてしまう)


・お店でレジに商品を出すと、ものすごい勢いで一連の会計が済む。
(私がついていけなくて、結局お店の人を待たせてしまう)


・携帯電話で話しながら、お菓子食べながら、他の店員と雑談しながら接客しない。
 ちゃんと私をお客様扱いしてくれる。


・長袖が煩わしいけど、寒いので着ていないと生きられない


・2年間置いていった服や靴がかびてない(持って行ったスーツは3ヶ月でかびたのに)


・静か(1日5回のモスクからの大音量アザーン放送がないし、バイクが少ないし、
夜中に屋根裏をねずみが走り回ることもないし、やたらクラクション鳴らす車もない)


・アザーンがないので時間の感覚が狂う(なんだかんだ言って無意識に時計代わりでした)


・東京ですら空気がきれい


・巨大なクモやゴキブリ、蟻の行列に困らなくていい


・道路が美しい(壊れてないし、ゴミも落ちてない)


・親の児童虐待とかいじめとか、子どもの悲しいニュースが多すぎる


・こんなに物が溢れている国なのに、生活保護や国内貧困の問題が増えてる気がする


・みんな何かに急いでる(信号が変わる時とか、踏切の遮断機が降りる時とか)


・ご近所さんとの接点があんまりない
 「どこ行くのー?」「どこ行ってきたのー?」って聞かれない
(インドネシアでは夕方になると子どもたちが外で遊んで、大人もおしゃべりするし、
出掛けに会えば必ず行き先やら同伴者を聞かれる。
でも聞くだけで答えに興味はないらしい。)


・知らない人と目が合っても微笑まない
(誰とでも目が合えば微笑むインドネシアって温かかったのかも)


・壊れた味覚と鈍ったセンスは勝手に治った
(他の隊員が驚くほどのサンバル(トウガラシ)中毒だったけど、
今は全然食べたいと思わないし、
インドネシア伝統のバティックを「かわいいー!」って着てたけど、
今はもう着たいと思いません)











こうやって挙げていくと、

日本てやっぱりいいなぁって思うこともあるし、

インドネシアは良かったなって思うことも。









日本で感じたこと_b0200971_18325792.jpg




# by naoko-Indonesia | 2012-10-18 21:44 | 思うこと

出国~帰国

帰国してから2週間です。



日本、寒いです。







薬を飲み続けていて、

その副作用で吐き気が止まらず、

2年間楽しみにしていた実家のごはんをまともに食べれず、外出もできず。。。

アメーバめ。

しばらくはおかゆとうどんを繰り返す日々でしたが、

やっと薬も終わって最近は食べれるようになりました。

日本食、素晴らしすぎる。

お米、おいしすぎる。

今はJICA顧問医からの再検査指示を待っています。

美容院に行って日本人に戻してもらったり(腰まで伸びてた髪を切ったので頭が軽い!)、

歯医者に行って検診したり(虫歯ゼロでした!)、

携帯電話を買いに行ったり(スマホが全然理解できず店員さんを困らせる)、

区役所で住民登録や保険証の手続きしたり(今まで会社やJICAに守られていたと実感)、

近場なら出かけられるのですが、

急に胃腸が痛くなることがまだあるので、外食や遠出はできてないです。



アメーバ菌は本当に死滅したのか。。。

完全に殺さないと半年や1年後に再発して、

腸内に膿が溜まって手術することになるとか。

なんて厄介な虫。

以前インドに行った時も帰国後に感染症を発症して

親に救急外来に連れて行かれるという前科持ちの私に、

2度目の今回は親も「まったく毎回毎回・・・」とさすがに呆れています。

ごめんなさい。




でも、1つ弁解させてほしいのは、

「私が不潔だったわけじゃない」です。涙

1~2週間の潜伏期間があるので

たぶんタカラールで感染していたのですが、

この2年間、いつも、できるだけ、清潔にしてました。本当です。

手で食べる文化だけど、食前はちゃんと手を洗ってたし、

スプーンがあるときは使ってました。(手で食べるのがどうしようもなく下手だったので)

でも、自分がどれだけ気をつけていても、

調理された食品そのものに調理者の手から赤痢菌がくっついていると、

そこから感染するんです。

だから、しょうがなかったんです。しょうがなかった。

たしかに、スラウェシを出る直前1週間はタカラールの人たちが

送別会をあっちこちで開いてくれて、

いつも以上にローカルなごはんをローカルな環境で食べてたので。

同期には「タカラールが引き止めてるんだよー」とからかわれましたが、

私からしてみれば「タカラールで発症しなくて本当によかった。絶対帰国する。」です。

ジャカルタのちゃんとした病院で検査できたし、

日本で日本人の食べるべき正しい療養食(これは重要)が食べれたし。

そんなこんな、回復してきたので残りのブログをちょっと更新していこうかと思います。

















10月2日夜、

隊員仲間と調整員に見送られてジャカルタから出国。

出国~帰国_b0200971_1531267.jpg


日本はきっと涼しかろうと、とりあえず着込む。

本当に実感なくて最後まであっけらかんとしていましたが、

さすがに離陸の瞬間は、うぅ・・・ときました。




心配だった預け入れ荷物は23キロのスーツケースとボストンで46キロOK。

残りは前日まだ元気だった時に郵便局からEMSで10キロ超のダンボール2個送りました。

入国の時は40キロと別送20キロ、化粧水とか消耗品類はないし衣類は置いてきたのに

なんで増えたのかというと

出国~帰国_b0200971_1573989.jpg


いただいたお土産。写真は一部。

南スラ伝統の布や手作りの壁掛け、手紙、

ここには写ってないけどお菓子の数々。これが重い。

もちろんタカラール隊員の重い宿命も。

過去ブログ→~タカラール食~BEPANG

けっこう置いてきたんだけど。

南スラ隊員の皆さまごめんなさい。










10月3日朝

出国~帰国_b0200971_155138.jpg


着陸が近づいて雲の切れ間から日本が見えたときは、

本当に日本だ・・・と、不思議な気持ちでした。

同期とも「スラウェシ島に帰ってきたみたいな気がする・・・」と話すくらい。

でもさすがに全然眠れず、機内食も食べれずの状態だったので疲労マックスで到着。


とりあえずボストンバッグだけ実家に送り、

(その日の夕方に到着するという信じられないサービス!

“着くかもしれないし、無くなるかもしれない”というインドネシアとは大違い)

ホテル組の同期とはここでお別れ。

「また明日の研修でねー」と、みんなあっさり・笑

携帯電話を持っていないので、公衆電話を探して実家に到着の電話。

お腹も痛いし、とにかくしんどかったので早く帰りたいのに

帰り方がわからず(携帯がないので乗り換え検索ができないし、記憶も定かじゃない)

とりあえずリムジンバスで、人混みが少なくて私にもわかる駅に行こうと思い、

水天宮前駅に。






出国~帰国_b0200971_15461121.jpg

                         スカイツリー!!!!


スカイツリーを知らなくても、この大きさでただごとじゃないとわかるくらい大きい。

働いてたときは高くなっていく工事中のスカイツリーを毎日見ていたけど、

ついに完成したんですねー。

すごい。



そこから電車で帰ったのですが、



・みんな下を向いて無言でスマホをシュシュッってやってる光景に驚く。

出国~帰国_b0200971_16351160.jpg

               これは私がインドネシアで使ってたJICAの携帯電話。

この“SMSと通話ができるすごいケータイ”を使っていた私に

スマホをシュシュッとしてる人たちの光景は刺激が強かったです。



・わずかな遅延を申し訳なさそうに謝るアナウンスに驚く。

5分も待たずに次の電車が来るのに。

ライオン航空なんて1時間の遅延でも「それが何か?」くらいの対応なのに。


・そしてやっぱり帰国隊員たちが言っていたように

「競歩並のスピード」で歩く人々に驚く。

スーツケースをガラガラしながら必死でそのスピードについていって、

なんとか実家に到着。







2年ぶりとは思えない、普通の旅行から帰ってきたみたいな感覚でした。

でも、いざ部屋に入ってみると

CDデッキとか写真立てとかがへこんだり欠けたりしていて、

「もー、乱暴に置かないでよー」と家族に言うと、

「地震のせいで落っこちたの」と。





















私は東日本大震災を経験していません。

でも、その時に日本にいなかったとしても、

多くの方が犠牲になったこと、

今まだご苦労をされている方や悲しまれている方がたくさんいることを

私も忘れてはいけないし、

あの時インドネシアの人たちがどれだけ心を痛めてくれていたか覚えてなくちゃいけないと

あらためて思いました。


地震があってから家族は水道水をあまり飲まなくなったらしく、

ペットボトルの水を大量に買い置きしてるとか、

携帯電話なんて興味のなかった母がやたらと私に

「何かあった時の為にすぐに買いなさい」と言ったり、

新聞には毎日の放射線量の欄や、

遺体が見つかった方のお名前が掲載される欄ができていて、

被災地のニュースも多く、

私が知らなかっただけで、

今もまだ復興は終わっていなくて、多くの方が困っていると知りました。

私に何ができるのか、

インドネシアにいた時はインドネシアのために、

そしてインドネシアで日本のためにできること、

日本にいる時は日本のために、

そして日本で世界のためにできること、

自分のいる場所でできることを探したいと思います。









そんな10月2日と3日。






そういえば、

出国前にマネーチェンジャーに行きたかったのに病院検査で行けず、

インドネシアで残っていたお金をすべてルピアのまま持って帰ってきてしまいました。

日本だと、すごーーくレートが悪いのです。

せめてドル、と思っていたのに。

いつかインドネシアに行くのかな。。。

大半の隊員は帰国すると任国シックになると聞いたのですが、

アメーバのおかげで「インドネシア、帰りたいーー(>_<)!!!!!」っていうのは

まっっったくないです・・・むしろ、ちょっとビビッてます。

CPや子どもたち、ホストファミリーや隊員仲間には会いたいけど。



# by naoko-Indonesia | 2012-10-17 22:34 | 帰国まで

最後に最大のおみやげ

今、空港に向かう車を待っています。

もう明日の朝7時15分には成田。




そんなインドネシア最終日、何をしていたかというと・・・




































病院で点滴。























昨日の夜、急な発熱と下痢、吐き気に襲われ、

JICAの健康管理員さんに連れられ今朝病院へ。

検査の結果・・・




























お医者さん「うん、アメーバ出てるね」


































アメーバ赤痢。

あぁぁぁぁ。










今日の大使館表敬と官房報告は行けず。

点滴されてひたすら休養していました。


























そんな私ですが、

これから日本に帰国します。

ちゃんと薬ももらったし、

日本で再検査も受けるので、大丈夫。

でもしばらくは日本の友達に会うのも憚られます・・・。















復活したら、ブログの続き日本から更新できるかな。

中途半端な状態ですみません。












実感ないままの帰国ですが、

成田に着いたら気づくのでしょうか・・・。







青年海外協力隊 平成22年度2次隊

インドネシア タカラール県教育局

青少年活動




これから日本に帰ります。



# by naoko-Indonesia | 2012-10-02 19:13 | 帰国まで

JICA青年海外協力隊          尚子のインドネシア日記           スラウェシ島 タカラール県          青少年活動隊員          (平成22年度2次隊)
by naoko-Indonesia
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