Seize the day!! インドネシアの空の下

カテゴリ:思うこと( 19 )




1年たって。

わぁーーーーっと1年がたってしまいました。

ブログ更新します、なんて言っておいて

終わらせることも、続きも書くこともせずに放置という、中途半端な状態ですみません。

昨日帰国した23年度2次隊の同じ任地だった隊員に会い、

ハッ・・・ブログ・・・と思い出しました。

しかもこの更新していない間もアクセス記録があってビックリ。

見てくださっていた方々ごめんなさい。

活動の記事が中途半端になってて、そういうもやもやしたのは嫌いなくせに

ほっておいたんですが、もうそろそろほんとに書いてちゃんと終えようと思います。

どれだけ腰が重いんだって自分でも思いますが。。。



1年前の今ごろ太平洋の上で腹痛に悶えていた私も、

いつの間にか日本人らしく見えるようになり、

1年前は想像もしていなかった道にいて、

おかげさまで生きています。
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by naoko-Indonesia | 2013-10-03 00:32 | 思うこと

日本で感じたこと

2週間日本に住んでみて驚いたこと、感じたこと。


・ごはんがとにかくおいしい(実家の食事に太る要素が一切見当たらない。
インドネシアの食事は太る要素しかなかったのに・・・。)


・生野菜、生卵や乳製品をお腹をくだす心配をしないで食べられる(アメーバは別として)


・豚肉やアルコールが想像以上にたくさん売られている


・インドネシア製のナシゴレンの素が200円で売られてる(現地では多分30円くらい)


・お湯のシャワーに湯船がとにかく素晴らしい
(この素晴らしさを知ってしまったので、もう水マンディはできないです)


・停電の心配がない(乾季はたいてい1日1回停電だったので)


・蛇口からきれいな水がいつでも出る(私の住んでた地域は毎朝断水だったので。
しかも持ち帰った服を日本で洗ったら色が蘇えった!インドネシアの水の汚さにびっくり。)


・スマホが難しくて使いこなせない(やっぱりラクラクホンにすればよかった・・・)


・テレビがちかちかするし、うるさい
(地デジで実家のテレビが新しくなって色が鮮やか過ぎるのと、
見ててもおもしろくない。私のツボが変わったのかは不明。。。
目も耳も疲れるのでほとんど見ないです。見てて落ち着くのは結局NHK・笑)


・若干不安になるほどのAKB人気


・お風呂上りにほっといてもいつまでも髪が乾かないし、
むしろそのままだと寒いのでドライヤーを使わないといけない


・実家にかかってきた電話に出ても日本語が聞き取りづらい(たいてい2度聞きしてしまう)


・お店でレジに商品を出すと、ものすごい勢いで一連の会計が済む。
(私がついていけなくて、結局お店の人を待たせてしまう)


・携帯電話で話しながら、お菓子食べながら、他の店員と雑談しながら接客しない。
 ちゃんと私をお客様扱いしてくれる。


・長袖が煩わしいけど、寒いので着ていないと生きられない


・2年間置いていった服や靴がかびてない(持って行ったスーツは3ヶ月でかびたのに)


・静か(1日5回のモスクからの大音量アザーン放送がないし、バイクが少ないし、
夜中に屋根裏をねずみが走り回ることもないし、やたらクラクション鳴らす車もない)


・アザーンがないので時間の感覚が狂う(なんだかんだ言って無意識に時計代わりでした)


・東京ですら空気がきれい


・巨大なクモやゴキブリ、蟻の行列に困らなくていい


・道路が美しい(壊れてないし、ゴミも落ちてない)


・親の児童虐待とかいじめとか、子どもの悲しいニュースが多すぎる


・こんなに物が溢れている国なのに、生活保護や国内貧困の問題が増えてる気がする


・みんな何かに急いでる(信号が変わる時とか、踏切の遮断機が降りる時とか)


・ご近所さんとの接点があんまりない
 「どこ行くのー?」「どこ行ってきたのー?」って聞かれない
(インドネシアでは夕方になると子どもたちが外で遊んで、大人もおしゃべりするし、
出掛けに会えば必ず行き先やら同伴者を聞かれる。
でも聞くだけで答えに興味はないらしい。)


・知らない人と目が合っても微笑まない
(誰とでも目が合えば微笑むインドネシアって温かかったのかも)


・壊れた味覚と鈍ったセンスは勝手に治った
(他の隊員が驚くほどのサンバル(トウガラシ)中毒だったけど、
今は全然食べたいと思わないし、
インドネシア伝統のバティックを「かわいいー!」って着てたけど、
今はもう着たいと思いません)











こうやって挙げていくと、

日本てやっぱりいいなぁって思うこともあるし、

インドネシアは良かったなって思うことも。









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by naoko-Indonesia | 2012-10-18 21:44 | 思うこと

それでも僕は誇りに思う。

1年くらい前に教育局のアルバイトスタッフと話していたとき。

このスタッフは公務員たちを見ながら

「ナオコ、こんな働く気のないインドネシア人ばかりであきれたでしょ?」と、

私に言ってきました。



べつに私が何を言っても害のない相手だし、

実際このとき(も)教育局に対してうんざりすることが続いていたので

正直に「うん、そうだねー」と、いろいろと話をしました。

で、一通り話した後に彼が言った一言がこれ。




















「それでも僕はインドネシア人であることを誇りに思う。」




















ガツンときました。

私はインドネシアに来るまで、

自分が日本人であることをどう思うかなんて考えたことありませんでした。

そのくせ、インドネシア人を前にインドネシア公務員の批判をして、

無意識に日本が上であるかのような、

日本人がスゴイとか規律正しいとか言われている良いイメージに甘えていたのかも。








インドネシア人は本当に愛国心が強い。

みんな小学校から当然のように国歌を歌い国旗を掲揚します。

普段着のジャージの背中に「INDONESIA」と大きく刺繍されていたり、

胸元に国旗のマークが入っていたり。

日本だったらワールドアップやオリンピックの時意外に

あんまり国旗とか国歌とか意識しないし、

なんだか今の(私の知っている2年前の)日本では

そのことに触れることがタブーのような、

ものすごくセンシティブな話題だったような気がします。

公立学校の先生が卒業式に国歌を歌わなかったとか、

右とか左とか。。。







同じ国なんて1つもないので、

インドネシアと日本を比較してどうこうなんて言えないけど、

私はこのスタッフの言葉が1年以上たった今でも忘れられません。
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by naoko-Indonesia | 2012-09-12 23:39 | 思うこと

インドネシアの8月17日に思うこと

今日はインドネシアの67回目の独立記念日です。

去年と同様ものすごい数の旗が道路沿いに掲げられ、お祭りムード。

今はまだ日付が変わったばかりだけど、

朝になったらあちこちで記念式典や行進パレードがあるみたい。

日本の「8月15日」とは違うんあだなぁとあらためて実感。

去年のブログ→「相手を知ること」





最近、インドネシアの日本の歴史を知る機会があったのでこれを機に少し書きます。


1つ目は、マカッサルにある日本人戦没者慰霊碑のこと。

6月に駐在官事務所や有志の方々とお参りに行って来ました。

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マカッサルにそういうものがあって、今も丁寧に管理されていることに驚きました。

この慰霊碑は、連合軍の裁判によって死刑にされた日本海軍の人たちのためのものだそうです。

この裁判には諸説あり、処刑された方の中には

もう一度日本に帰ることができたはずの人も含まれていたとか。


今、この慰霊碑はインドネシア人のおばあちゃんが管理してくださっています。

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石碑には、日本語とインドネシア語で平和の詩が。

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そして2つ目は、7月に行った日本空軍の跡地。

なんと任地タカラールの、私の活動している郡にあります。

知らなかった・・・。

教育局の郡支局の友人と、支局の隣にあるインドネシア陸軍事務所のおじちゃんが

日曜日に連れて行ってくれました。


と言っても、今はただひたすら草原なのでパッと見はわかりません。

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高校生たちがキャンプに来るほどのどか。

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            (結局最後まで彼らがワイワイついてきてくれました。)



海が見える半島の先に位置していて、

当時は滑走路が作られ、日本空軍の発着基地になっていたそうです。

さらにこの向こう側には日本人向けの市場が開かれ賑わっていたとか。
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あんまりにも跡形も無いので実感が湧かないでいると、

日本軍が作ったという井戸があると。

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この四角い箱の隙間から中をのぞいてみると・・・






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                     !!!!


「KAWAMOTO DRAGON MADE IN JAPAN」って書いてあります。

今はもう壊れて使えないけど。

「せっかく日本人が井戸掘ってくれたのに、インドネシア人は壊しちゃって、

もったいないよなぁー」って言ってました。


そして防空壕もいくつか残っています。

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周りは綿花畑。

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もっと奥には大きな防空壕が残っていて、

日本軍の人たちが残していったものも置かれているそうですが、

雨が降ってきたのでそこまでは行けませんでした。

ここの近くに住む人たちの話によると、

日本軍が置いていった時計のようなものが土に埋まっていて、

数年前までは時報のような音が鳴っていたらしいです。

さすがに正確ではなくて、不定期に年に数度だったらしいですが。

60年もずっと・・・?

別の人からもそういう話を聞いたので、

おそらく本当の話です。すごい。


そして、日本軍が置いていった爆弾の残骸。

これは今なんと、学校や役所でチャイム代わりの鐘として使われています。

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67年以上前の日本の爆弾が、今では時間を守らないインドネシア人の時計代わりです。

「日本製は丈夫だから」って。。。うーん。

巡回先の小学校にもあって、なんだろう?って思ってたんだけど、

まさか爆弾だったとは、、、ちょっと複雑な気持ちですが、

こちらの人たちはまったく気にしていないみたい。







当時のことは、当時を生きていた人にしかわからないし、

日本軍がいたから経済がうるおった、

オランダから独立できた、って言う人もいれば、

いやな思いをした人もいたかもしれません。

それは、本当にそのとき生きた人にしかわからないこと。



でも、

私が思うのは、

今こうしてインドネシアの人たちに受け入れてもらって、

一緒に笑えて幸せだなぁということ。



この時代に生まれてこれたからこそ、こんな風に穏やかにいられる。


日本人である私を、温かく迎えてくれて、一緒に笑ってくれる。


ボランティアの立場から活動のことに関しては

言いたいことは山ほどあるけど・笑、

それでも、1人の日本人としては、

今こうしてインドネシアの人たちと笑っていられて本当に幸せです。





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           日本空軍の跡地で、インドネシア陸軍のおじちゃんと、教育局の友人と。












 
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by naoko-Indonesia | 2012-08-17 02:09 | 思うこと

見てみなくちゃわからない。聞いてみなくちゃわからない。

ふと思うのですが、

たとえばインドネシアのことが日本でニュースになっていたとして、

JKT48だとか、ジャカルタの経済成長とか、バリのリゾートとか、

そういうのだけ見てたら、

「インドネシア、もう新興国じゃない?協力隊なんて必要なの?」って

思う人もいると思います。




逆にたとえば私がブログで、タカラール村落部の低所得集落の状況を、

あたかもタカラール全体みたいな書き方をしたら

「スラウェシ島のタカラールっていうところはなんて貧しくてかわいそうなの」って

大半の人は思う。






実際は、タカラールにも車を持ってそれなりの家で生活している人はいるし、

現金収入もトイレもないような地域で傾いた高床の家に暮らす人もいます。


ジャカルタだって、田園調布かと思うような高級住宅街や

新宿みたいな高層ビルもあるけど、

線路や河川の脇にはスラム街もあるし、

道路で物を乞う人もいます。





でも、どっちもインドネシア。

どれもインドネシア。




日本や欧米からのビジネスマンが、

スーツを着て颯爽とジャカルタのオフィスで働いてるのもインドネシア。

村で物々交換して暮らす人たちがいるのもインドネシア。

腰みのだけしか着てない先住民族が暮らしているパプア州もインドネシア。

道路でお金をねだる子供がいるのもインドネシア。

神々の楽園と称されるバリ島もインドネシア。

JKT48が歌うのもインドネシア。




そういういろんな顔をもつインドネシアのことを、

私が目で見て、直接聞いて確かめた範囲内で、

このブログで伝えられたらって思います。




それを踏まえたうえで・・・










赴任してしばらくしたある土曜日の午後、

マカッサルを歩いていたら

子どもが炎天下のなか信号待ちの車の窓を1つ1つコンコンてして、

お菓子を売り歩いていました。

きれいとはとても言えない服装の、小学生くらいの男の子。

その光景を見たら、

きっと大半の日本人は

「かわいそう・・・」ってなると思う。

私も、一瞬そう思いました。




でも、その売ってる子ども本人に聞いてみなくちゃ

本当のことってわからないって思ったんです。




だから、信号が変わって歩道に避けるのを待って直接聞いてみました。

「学校は行ってるの?なんでお菓子を売ってるの?」




そしたら返ってきた答えは、



「行ってるよ。小学校4年生。

これは家の手伝いだよ。

学校が終わった後は、こうしてお母さんの作ったお菓子を売るんだよ。」






























あぁ!そっか!





















この男の子にしてみたら、

それは家のお手伝いなんです。

「お母さんが作るお菓子を売る」という、

立派なお手伝いの仕事の1つ。

小学生の頃、私が母に言われて洗濯物をたたんだり、

お遣いに行ったりしたような、

そういうお手伝いの1つなんです。




「かわいそう」と一瞬でも思った自分がとても恥ずかしかったです。

いかに自分が先入観を持っていて傲慢だったかを思い知らされました。






捉え方や感じ方は人それぞれなので

炎天下であるとか交通の危険とかの観点からかわいそうだという人もいるだろうし、

物を売り歩く=低所得=かわいそうって思う人もいるかもしれないし、

それは人によって自由だと思うけど、









少なくとも、この男の子は自分のことを「かわいそう」と思ってない。












それってすごく大事なことなんじゃないかと思うんです。




簡単にお金を乞う子どもも大人もいるなかで、

この男の子は

「お母さんの作ったお菓子を売る」っていう仕事を立派に行い、

家を手伝っている。





心の中で「ガンバレー!」って応援したくなりました。









いきなり声かけて変な外国人って思われたかもしれないけど、

聞いてみてよかった。










直接確かめてみなくちゃ本当のことはわからない。

10歳の子から学んだこと。
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by naoko-Indonesia | 2012-05-14 02:10 | 思うこと

スマトラの地震

スマトラ沖の地震で、多くの方から心配のメールをいただきました。

ご心配おかけしました。

スマトラ島の被害は少なかったようで、

ここスラウェシ島はスマトラと反対の東側に位置しているので影響ありませんでした。



こうしてメールをもらってありがたいのと、

インドネシアが日本の人たちにとって

「アジアのどこかにある南国の1つ」から

「インドネシア」として認識してもらえるようになることが嬉しいです。

うまく書けないけど、

私がここにいることで

少しでも多くの人に

インドネシアが「その他大勢の外国」ではなく、

1つの国として知ってもらえるようになること。

そう考えたら、私がここにいる意味があるかもしれないって思います。
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by naoko-Indonesia | 2012-04-12 19:17 | 思うこと

4分の3

残りの任期あと半年。

半年後の10月4日は、きっと東京で帰国後研修を受けているはず。

過ぎてしまえばあっという間。

でも過ぎる前にやらなければならないこと、

やらなくては後悔してしまいそうなことがいろいろあって、

今は少し忙しい毎日です。

って言い訳にしてブログをさぼっていたのだけど。



ボーっとしていても半年。

急ぎ足でも半年。

焦らず、慌てず。

こうして協力隊として生活する日々はきっともう一生ない。

今が大切ってことを思い出す。

忘れて思い出してを繰り返す毎日です。



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by naoko-Indonesia | 2012-04-04 23:15 | 思うこと

自分の無力さを認めたときに。

この1年半、

自分の知識不足とか、

経験不足とか、

言葉の問題とか、

何度も壁にぶつかって、

そのたびに自分の無力さを思い知って、

へこんで、

認めて、受け入れて、

それでもあきらめたくないって前を向くときに、

助けてくれるインドネシアの人たちとの出会いに恵まれ、

ここまでこれたけど。







今回の壁は、手強い。

















私が外国人であること。

私が2年間という期限付きボランティアであるということ。











「あきらめないでやってみようよ」


「続けていけば、少しずつでも変化があるよ」


「きっといつか、わかって協力してくれる人が現れるから」







どの言葉も

残り任期半年になった私が使うには

無責任なように感じてしまって、

最近は言葉を選ぶのも難しいです。

これは私が期限付きだから言えた言葉なのかなぁ?

もし自分が一生ここに住む立場だったとしても言えた?

自分の理想を押し付けていないか?

結局は、彼らの人生の一部、生活の一部におじゃまする部外者で、

彼らの人生に責任を持つことも、

一緒に最後まで見届けることもできない、

2年間ここにいる日本人。

ここで一生を生きるのは彼ら。

彼らが望むようにしかならないし、

望まないのであればそこまで。





残り約半年。

それでもあきらめたくない。

この無力さを受け入れたときに、

また進めるかなー。


と、悶々と考えています。
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by naoko-Indonesia | 2012-03-23 02:28 | 思うこと

あれから1年

東日本大震災から1年。


インドネシアでは、パプア州に到達した津波で1人が亡くなり、

スラウェシ島も津波警報が出されていました。

私はテレビから流れる日本の映像に、ただ茫然としていました。

あれから1年。





この1年、本当にたくさんのインドネシア人から日本を心配する言葉をいただきました。

「被災地の状況は?」

「日本の家族は無事なのか?」

「復興は進んでいるのか?」

「祈ってるよ」

見知らぬ人にも、道を通りかかった人にも、子どもも大人も。

震災直後はもちろん、1年がたつ最近でも。




インドネシア人にとって日本は、日本人が思っている以上に近くて大きい存在のようです。

それは、たまたま日本人の私がいたから言葉にして伝えられただけであって、

私がいなかったとしても変わらない気持ちだと思います。




数年前のスマトラや中部ジャワの大地震のとき、

日本にいた私にとって、それは遠い海外の出来事でした。

テレビのニュースの1つ。



でも、インドネシアの人たちは日本の震災を自分たちのことのように

悲しみ、心配し、復興を祈ってくれました。



去年の3月。

マカッサルで開催されたチャリティイベント。→2011年4月2日ブログ「相思」

今でもあの日のことを思い出すと、感謝の気持ちでいっぱいになります。

日本はこんなに愛されているんだと。

助け合うとか、ボランティアって、こういうことを言うんだと。

ここで協力隊として活動していくことに不安を感じていた私にとって、

彼らが日本のためにしてくれたことへの感謝の気持ちが、

タカラールの子どもたちへの活動をすることで還元できないかと思いました。


「困ったときはお互いさま」→2011年3月20日ブログ「報恩」

そういう連鎖がずっと続いていくことを願います。






日本がまた元気になりますように、心より祈っています。
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by naoko-Indonesia | 2012-03-11 23:06 | 思うこと

先輩の教え

「日本に戻ってきて、インドネシアが本当に懐かしくて、

もっとボランティアとして、良き日本人であれば良かったと後悔しています。

怒ってばかりで、たった2年間なのだから、

もっとインドネシア人に寄り添ってあげるべきだと反省しています。」





今年9月に任期を終え帰国されたシニアボランティアの方からのメール。

なにげない近況報告のなかに書かれていました。




帰国して日本で感じている気持ち。





ここでの時間は有限で、

ずっといられるわけじゃないって、

わかっていても、

今を大事にできていない私は、

このメールを読んでたら涙が出てきました。



しっかりしないと!!
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by naoko-Indonesia | 2011-12-19 00:00 | 思うこと

JICA青年海外協力隊          尚子のインドネシア日記           スラウェシ島 タカラール県          青少年活動隊員          (平成22年度2次隊)
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