Seize the day!! インドネシアの空の下

出国~帰国

帰国してから2週間です。



日本、寒いです。







薬を飲み続けていて、

その副作用で吐き気が止まらず、

2年間楽しみにしていた実家のごはんをまともに食べれず、外出もできず。。。

アメーバめ。

しばらくはおかゆとうどんを繰り返す日々でしたが、

やっと薬も終わって最近は食べれるようになりました。

日本食、素晴らしすぎる。

お米、おいしすぎる。

今はJICA顧問医からの再検査指示を待っています。

美容院に行って日本人に戻してもらったり(腰まで伸びてた髪を切ったので頭が軽い!)、

歯医者に行って検診したり(虫歯ゼロでした!)、

携帯電話を買いに行ったり(スマホが全然理解できず店員さんを困らせる)、

区役所で住民登録や保険証の手続きしたり(今まで会社やJICAに守られていたと実感)、

近場なら出かけられるのですが、

急に胃腸が痛くなることがまだあるので、外食や遠出はできてないです。



アメーバ菌は本当に死滅したのか。。。

完全に殺さないと半年や1年後に再発して、

腸内に膿が溜まって手術することになるとか。

なんて厄介な虫。

以前インドに行った時も帰国後に感染症を発症して

親に救急外来に連れて行かれるという前科持ちの私に、

2度目の今回は親も「まったく毎回毎回・・・」とさすがに呆れています。

ごめんなさい。




でも、1つ弁解させてほしいのは、

「私が不潔だったわけじゃない」です。涙

1~2週間の潜伏期間があるので

たぶんタカラールで感染していたのですが、

この2年間、いつも、できるだけ、清潔にしてました。本当です。

手で食べる文化だけど、食前はちゃんと手を洗ってたし、

スプーンがあるときは使ってました。(手で食べるのがどうしようもなく下手だったので)

でも、自分がどれだけ気をつけていても、

調理された食品そのものに調理者の手から赤痢菌がくっついていると、

そこから感染するんです。

だから、しょうがなかったんです。しょうがなかった。

たしかに、スラウェシを出る直前1週間はタカラールの人たちが

送別会をあっちこちで開いてくれて、

いつも以上にローカルなごはんをローカルな環境で食べてたので。

同期には「タカラールが引き止めてるんだよー」とからかわれましたが、

私からしてみれば「タカラールで発症しなくて本当によかった。絶対帰国する。」です。

ジャカルタのちゃんとした病院で検査できたし、

日本で日本人の食べるべき正しい療養食(これは重要)が食べれたし。

そんなこんな、回復してきたので残りのブログをちょっと更新していこうかと思います。

















10月2日夜、

隊員仲間と調整員に見送られてジャカルタから出国。

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日本はきっと涼しかろうと、とりあえず着込む。

本当に実感なくて最後まであっけらかんとしていましたが、

さすがに離陸の瞬間は、うぅ・・・ときました。




心配だった預け入れ荷物は23キロのスーツケースとボストンで46キロOK。

残りは前日まだ元気だった時に郵便局からEMSで10キロ超のダンボール2個送りました。

入国の時は40キロと別送20キロ、化粧水とか消耗品類はないし衣類は置いてきたのに

なんで増えたのかというと

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いただいたお土産。写真は一部。

南スラ伝統の布や手作りの壁掛け、手紙、

ここには写ってないけどお菓子の数々。これが重い。

もちろんタカラール隊員の重い宿命も。

過去ブログ→~タカラール食~BEPANG

けっこう置いてきたんだけど。

南スラ隊員の皆さまごめんなさい。










10月3日朝

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着陸が近づいて雲の切れ間から日本が見えたときは、

本当に日本だ・・・と、不思議な気持ちでした。

同期とも「スラウェシ島に帰ってきたみたいな気がする・・・」と話すくらい。

でもさすがに全然眠れず、機内食も食べれずの状態だったので疲労マックスで到着。


とりあえずボストンバッグだけ実家に送り、

(その日の夕方に到着するという信じられないサービス!

“着くかもしれないし、無くなるかもしれない”というインドネシアとは大違い)

ホテル組の同期とはここでお別れ。

「また明日の研修でねー」と、みんなあっさり・笑

携帯電話を持っていないので、公衆電話を探して実家に到着の電話。

お腹も痛いし、とにかくしんどかったので早く帰りたいのに

帰り方がわからず(携帯がないので乗り換え検索ができないし、記憶も定かじゃない)

とりあえずリムジンバスで、人混みが少なくて私にもわかる駅に行こうと思い、

水天宮前駅に。






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                         スカイツリー!!!!


スカイツリーを知らなくても、この大きさでただごとじゃないとわかるくらい大きい。

働いてたときは高くなっていく工事中のスカイツリーを毎日見ていたけど、

ついに完成したんですねー。

すごい。



そこから電車で帰ったのですが、



・みんな下を向いて無言でスマホをシュシュッってやってる光景に驚く。

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               これは私がインドネシアで使ってたJICAの携帯電話。

この“SMSと通話ができるすごいケータイ”を使っていた私に

スマホをシュシュッとしてる人たちの光景は刺激が強かったです。



・わずかな遅延を申し訳なさそうに謝るアナウンスに驚く。

5分も待たずに次の電車が来るのに。

ライオン航空なんて1時間の遅延でも「それが何か?」くらいの対応なのに。


・そしてやっぱり帰国隊員たちが言っていたように

「競歩並のスピード」で歩く人々に驚く。

スーツケースをガラガラしながら必死でそのスピードについていって、

なんとか実家に到着。







2年ぶりとは思えない、普通の旅行から帰ってきたみたいな感覚でした。

でも、いざ部屋に入ってみると

CDデッキとか写真立てとかがへこんだり欠けたりしていて、

「もー、乱暴に置かないでよー」と家族に言うと、

「地震のせいで落っこちたの」と。





















私は東日本大震災を経験していません。

でも、その時に日本にいなかったとしても、

多くの方が犠牲になったこと、

今まだご苦労をされている方や悲しまれている方がたくさんいることを

私も忘れてはいけないし、

あの時インドネシアの人たちがどれだけ心を痛めてくれていたか覚えてなくちゃいけないと

あらためて思いました。


地震があってから家族は水道水をあまり飲まなくなったらしく、

ペットボトルの水を大量に買い置きしてるとか、

携帯電話なんて興味のなかった母がやたらと私に

「何かあった時の為にすぐに買いなさい」と言ったり、

新聞には毎日の放射線量の欄や、

遺体が見つかった方のお名前が掲載される欄ができていて、

被災地のニュースも多く、

私が知らなかっただけで、

今もまだ復興は終わっていなくて、多くの方が困っていると知りました。

私に何ができるのか、

インドネシアにいた時はインドネシアのために、

そしてインドネシアで日本のためにできること、

日本にいる時は日本のために、

そして日本で世界のためにできること、

自分のいる場所でできることを探したいと思います。









そんな10月2日と3日。






そういえば、

出国前にマネーチェンジャーに行きたかったのに病院検査で行けず、

インドネシアで残っていたお金をすべてルピアのまま持って帰ってきてしまいました。

日本だと、すごーーくレートが悪いのです。

せめてドル、と思っていたのに。

いつかインドネシアに行くのかな。。。

大半の隊員は帰国すると任国シックになると聞いたのですが、

アメーバのおかげで「インドネシア、帰りたいーー(>_<)!!!!!」っていうのは

まっっったくないです・・・むしろ、ちょっとビビッてます。

CPや子どもたち、ホストファミリーや隊員仲間には会いたいけど。
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by naoko-Indonesia | 2012-10-17 22:34 | 帰国まで

JICA青年海外協力隊          尚子のインドネシア日記           スラウェシ島 タカラール県          青少年活動隊員          (平成22年度2次隊)
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